昨日の夜、瞑想中に全ての命を生きたような感覚がありました。
あらゆる人の人生を体験したような気がします。もうそれはそれは一瞬の出来事のような永遠の出来事かのような感じで。
たくさんの人の中を通り抜けて行ったような気がしました。
これが本来の私たちである「ひとつの意識」なのかなと思いました🤔
例えるならラジオだと思っていた自分が、隣にいるテレビさんの中を同じく流れる電流の存在について初めて知り、かと思えば電流そのものとしてテレビさんの中を走って行ったような感じです。
おかげで今朝からはさらに調子が良いです✨またひとつこの世界の真実を体感したような気がしたからです。
歴史を文章で知ることはできても、その当時の時代を体験することは出来ません。
しかしひとつの意識だけは永遠です。このひとつの意識以外全て、移ろいゆき朽ちていくものだからです。
人にイライラしがちな私でしたが、今は「あなたはわたし、わたしはあなた」というような感覚があります。
もちろん肉体は分離しているように見えますが、今は全ての生命を通して繋がっている感覚があります。
本当の私とはどこにでも存在しているような気がしました。
「私は何者でもないが、全てである。」
これは私のお気に入りの言霊なのですが、街を歩いている時にふと唱えてみると心が凪になって肉体が消えるような、空間に溶けさってしまったような感覚になります。
赤ちゃんの時の記憶は全くないのですが、母親に抱かれる感覚ってきっとこうなんだろうなと思いました☺️
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思考をしている時は幸せから遠ざかっている状態のように感じます。
なぜなら幸せを探すために思考しているからです。その前提には「私は幸せでないから、私を幸せにしてくれるものを探す。」というものがあるからです。
確かにSNSやニュースなど、興味をそそられるものは生活していく上であまりにも多いものです。
それに一喜一憂して思考が増えていくのですが、何か満たされたいから自分を満たしてくれるものを探すということは永遠に終わらない探し物をしているかのようです。そんな探し物は最初からとっくに手にしているからです。
例えるなら眼鏡をかけたまま眼鏡を探すようなものです。
眼鏡らしきものを見つけては喜ぶのですが、その喜びは束の間で、
「もっと眼鏡を見つけよう!!」
になり、また見つけては一瞬の喜びに浸り、すぐに消えてしまう喜びに絶望して永遠に探し続けてしまうんです。
そうして疲弊した人が、
「この世界ではどんなに目標を達成しても、どんなに素敵なパートナーと出会っても、幸せって一瞬だからこれ以上何を目指せばいいのか分からない….。」
になってしまうんですね。
これに対しては、その人がすでに眼鏡をかけていることに気づく必要があります。
しかし気づかないほどにその眼鏡は曇っているんです。
そしてその眼鏡こそが真の幸せなんです。
その眼鏡の曇り(思考感情、思い込み)を取ることが「全てを手放すこと」になるんです。
全てを手放すということは一見勇気がいることかもしれません。
自我さん的には大反対のものでしょう。
しかし一度でもすべてがひとつであり、私たちの本当の存在そのものが幸せであると知った途端、
思考することは幸せから遠ざかることであると知ると思います。曇った眼鏡に大量の眼鏡をかけていくようなものです。
そもそもそこにある前提があまりにも違いますよね。
①幸せを探すために思考する→【今は幸せではないから幸せを探す必要がある】→【幸せを探し続けなくてはならない現実が創造される】→【永遠に不幸せな現実が現れる】
②自分の存在そのものが幸せであるから外側に何かを探し求める必要がない(思考しない)→【幸せは常に内側にある】→【幸せな現実が創造される】
こうしてみるとどちらが良いのかは明確だと思います。
人が最終的に手に入れたいものは幸せだからです。さらに言えば、どんなことが起きても自分の幸せには変わりがないと決めてしまうことが良いと思います。
私は最近、思考しないで生活することにはまっております。大生命にこの肉体を使ってもらうということはどういうことになるのか試しているところです。
そうしたらやはり心が楽になるだけでなく最適な行動が取れているように感じました。
今打ち込んでいる文章も思考せずただ思いつくがままにタイピングしています。
どこかから文章が溢れ出る感覚があるんですよね。
肉体としての自分である時、ふと考えてみたことがあります。
本当の自分はこの自分ではなくて、どこか地球を見下ろしているゲーマーがコントローラーを握って私の肉体を動かしているのではないかと思ったことがありました。
しかもそのゲーマーは私をどう動かしたら良いのか全部お見通しですので、ありとあらゆる喜びへと運んでくれるのですが、
このゲームの中の私にバグ(自我)が生じ、なかなかコントロールが効かなくなってしまった状態なんです。
本当はいっそゲーマーに任せたほうが良いのに、バグはそれを嫌がります。
バグは自我を持ち、自分が存在するためにはあらゆる不正プログラム(思考、思い込み)を生じさせるわけですが、ゲーマーからみたらあまりにもちゃっちいものなんですよね。
「違う違う!そっちじゃない!」
とゲーマーは思っています。全てお見通しだからです。ゲーマーが導く先はいつだって豊かで、幸せで満たされているものです。
しかしバグはそれを拒否します。本当に豊かで幸せで満たされてしまったらバグが存在する理由がなくなるからです。
そうしてどんどん肥大化したバグはついにはゲームの中を破壊し始めます。
個人のライフスタイル程度ならまだしも、国レベルで言うと戦争もバグが肥大化したものだと思います。
だからこそ一度立ち止まってバグを取り払うこと(感情を解放するワークや瞑想)が必要なんですね。
そしてそもそもそのバグは存在しないことと、本当の自分はゲーマーであるということを理解することで真の幸せにたどり着けるわけです。
バグはそもそも存在しなかった。
思考すること自体が幸せや豊かさから遠ざかるんです。
なぜなら、
思考する=幸せを得ようとしてする行為=今自分は幸せではないという前提=自我が生き残る術
なんです。
これに長年やられてきたわけです。
昨日瞑想していてようやく気がつきました。
そうか、そういうことだったのかと。
だからもう何も探す必要もない、何かを目指す必要もない、何も考える必要がない、ありのままで完全なのだから。
※ありのままで完全というのは、自我のことではないです。自我を取り去ったあとに残るもののことです。
「でも、明日どうやって生きていけばいいの!?今すぐ考えなければずっと苦労するよ!?何も考えないなんて自殺行為だよ!」
はい、これもバグです。潔くスルーです。
ゲーマー(宇宙)は全てをお見通しです。だからこの肉体を「明け渡す」ことが大事なんですね。
そしてゲーマーは1人しか存在しなかった。
明け渡してみると実感することだと思います。
ポケモンのゲームで例えるならキャラクターの頭上から眺めているので、キャラクター目線では見えないものが全てわかります。
レアなポケモンがキャラクターのわずか数メートル先に潜伏していたり、その先の旅で使えるお宝が草むらの中にあったり、
全部分かるんです。
ゲーマーに任せたほうがいいんですね!
(WEBから拝借しました。これがほんとの”上から目線”!)
ゲーマーへの任せ方ですが、「思考しない」これに尽きます。
ゲーマー(宇宙)はあなたという肉体を然るべきところへ連れて行ってくれます。
そこは幸せと豊かさでたっぷりと満たされた世界。
私はたまにですが空を見上げながら、
「なおというキャラクターを操作している人はどこにいるのかな?」
と思いを馳せてみることがよくあります。
そして不思議ですが、自分はゲームの中のキャラであり、本当の自分ではないのだと思ってみると思考が止まります。
きっとこの先を考えられないようになっているのだと思います。
だってそもそもバグ(自我)は存在しないから。
自我を疑うと消えてしまうんです。
ですので今もし、思考感情で苦しめられている時はバグを疑ってみてください。
あまりにもリアルで本物だと思ってしまいがちな思考感情や思い込みですが、疑ってみてください。
それは本当に存在するのかと。
それは過去と未来にしか存在できません。今この瞬間には存在できません。なぜなら幻だからです。
過去も未来も幻です。確かに体験したかもしれない過去の出来事も、今この瞬間においては全てが幻です。
幻を抱え続けることがお好きな方は良いのですが、それがあまりにも辛いものであったり、今は亡き美しい思い出に執着しているのなら手放したほうが確実に幸せになれます。
そして私が保証します。過去にどんな美しい思い出があったとしてそこに戻りたいとしても、
それよりもはるかに幸せになれるものが今ここにあります。
発見するのはとても簡単です。
バグを取り除くことです。
バグの取り除き方は、思考と思考の切れ間にある青空を見つけ出すことです。
ということは、
カツオくん「野球じゃなくて?」
ということで今回もここまで読んでいただきありがとうございました✨
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