ここ数日、なぜか猛烈に洋画「インターステラー」を観たくなったので数年ぶりに観たんです。
いやぁそれはそれはもう感動して号泣でした…。
(公式サイトより画像をお借りしました、謝謝)
インターステラーを知らない方のためにざっくりとあらすじをお伝えします。
舞台は滅亡しかけている地球で、人類は存続の危機にさらされていました。
主人公のクーパーは宇宙船に乗って人類が移住可能な惑星を探すのですが、
そこで待ち受ける様々な出来事について描かれている作品です。
果たして人類が移住できる惑星は見つかるのか、そして無事に家族の元に帰れるのか、などなど、
最後が予測できない作品であるのと、ふと立ち止まって宇宙についての解説を調べたり、でも何度も観返したくなるくらい素晴らしい作品なんです。
映画を観る前の予備知識として必要なのは、宇宙で過ごしている時の時間のスピードと、地球で過ごしている時の時間のスピードが全然違うことは頭に入れておいたほうがいいですね。
光の速さに近ければ近いほど、時間の流れは遅くなるので、宇宙船で過ごしている彼らは地球で過ごしている人たちよりも老けるのが遅いことになるんです。
最初はこの知識を知らずに観たので意味がさっぱりわからなくて途中で諦めてしまったのですが、
今では何度観ても発見がある素晴らしい作品です^^
これは私が映画を観た後に感じたことですが、
「想いは重い(重力)を越えるんだなぁ…。」としみじみ思いました。
最近私の中でやたらと「宇宙」や「時空間」がテーマの作品が目に入るようになりました。
それでインターステラーや関連書籍を読んでみるとやはり「空の境地」ではないかなと思うようなことがたくさん出てきて、ますます面白いことになってきたんです。
つい先ほどびっくりした気づきがあったので書いていきたいと思います。
最近の私はなぜか英語を勉強したいなと思い始めていて、インターステラーも字幕版で英語脳を鍛えながら観ていたんです。
私は昔から人の特徴を捉えるのが得意だったので、発音を覚えるのが好きでした。
福島県出身ですので訛りがある環境で育ったのですが、それを脱するために小さい時から発音について常に注意深く観察していた癖がありました。
いつのまにか話し方を”音程”で捉えるようになっていて、訛りを脱するためにはその逆の音程で話せばいいと気づきそのようにしていたのですが、
いつしかその音程が人の性格に少しばかり影響を与えていると気づきました。
これは沖縄に移住した時に沖縄弁を聞いていた時と、大阪に移住した今関西弁を聞いていてやはりざっくりとですが県民性が大きく違うと感じるからです。
さらに言うと英語を話す日本人の知人を見ていても、明らかに英語を話している時と日本語を話している時の性格が違うんです。
話し方であったり言語であったり、性格に少し影響を与えるなんて面白いですよね🤔
そんなことを考えながら本棚から数年前に買った英語の教科書を取り出したんです。
ただ英単語と英文法を教えてくれるものではなく、そもそもの英語を話す人の目線がどのようになっているのかを分かりやすく解説してくれているんです。
英語を話す人たちの大前提が日本語と大きく違うということがあり、立ち読みして開始数ページで目から鱗だったので書店で即買いしたものでした。
その序盤に書かれていたこととは、
日本語で話す人の目線は、自分から見た目線ですが、
英語を話す人の目線は、自分を客観的に見ている目線なんです。
それでちょっとピンときたのですが….、
だから海外の人たちで悟りに関するムーブメントは、日本より遥か昔に流行ったのかなと思いました。
自分から見た目線が違うからです。
瞑想を深めていくとこの肉体が自分ではないと分かります。それが目覚めです。
その目覚めのために自分を客観的に見るような視点を得ようとします。防犯カメラを通して自分を眺めている視点です。
だんだんと客観視が出来るようになると、全体の意識に溶け込み思考が浮かばなくなります。
あくまで本当にちっぽけな私が思いつきで書いていることですので真偽は分かりませんが、
もしかしたら言語の在り方によって目覚めが起きやすい・起きにくいがあるのかもしれないですね🤔
空の境地にたどり着くためには、
「私」というアイデンティティを消す必要があります。
「私は日本人である。」
「私は料理が苦手である。」
「私は昨日映画を観て夢中になっていた。」
この文にある「私」は肉体についている自我についての説明です。
本当のわたしではありません。自我です。
本当のわたしは空の境地であり、全体とひとつの意識であり、生命です。
肉体についている自我は全体の意識から分離したものです。
「私は○○である。」
というものは、自我から見たものです。
自我を本当の自分ではないと気づくためには、心の中でわいてでてきた
「私は人生がうまくいっていなくて悲しい….。」
というような”私”とは誰なのか今一度よく問うてみると良いと思います。
本当に目の前の出来事で悲しんでいるのは私なのか、
そもそも悲しんでいるのは誰なのか、
問うてみると良いです。
答えは出ません。なぜなら元から存在しない自我さんですから!
その答えに対し退屈を感じて思考し始めるのも自我さんです。今ここでループから抜け出しましょう。
..
私はインターステラーと並行して「宇宙思考」という本も読んでいたのですが、次元の話が出てきます。
1次元は点、2次元は平面、3次元は空間、4次元は….
と続くのですが、
これらは数字の大きい方から小さい方へ干渉することが可能です。
例えば、
3次元にいる私たち(肉体)は、自分の考えを紙(平面、2次元)に書いて落とし込むことができます。
あるいは、元から紙に書いてあった文字や絵を書きかえたり消すことが出来ます。
しかし逆に、紙に書いてある文字(2次元)は私たち(3次元)に干渉することはできません。
2次元にいるものは我々の存在すら分かりません。紙に書いた文字が私たちに向かって、
「もっと上手に書いてくれよ!」
と文句を言ってくることがありえないことのようにです。
同様に、私たちは3次元にいるので4次元以降を目で捉えることができません。
しかしもし4次元に人がいたとして我々を見下ろしているとなると、4次元の人たちは我々の肉体の中まで透けて見えていることになるんです。
例えるなら漫画のキャラがどんなに悩んでいても客観的に観ている私たちは、そのキャラを取り囲んでいるたくさんのチャンスに気づいているようなものですね。
空の境地は五感六感では捉えられない領域ですが、まさにそれがそうだと思いました。
これはインターステラーを観たら分かると思います。
五感六感では捉えられない領域であるけれど、全てお見通しで時間も空間もないのであれば….?
さらにその領域は3次元の人たちが1番幸せになる方向を知っていて、常に導いているとしたならば….?
そちらに完全に委ねた方が良いではないでしょうか?
目に見えないからこそ信じられないものです。しかしその領域は確実に存在していて常にシグナルを送っているんです。
あぁ、はやく手放せば良いんだな。
映画を観て心から思った瞬間でした。
「愛が観測できるなら数値化できるはずだ。」
クーパーさんのこのセリフが今も響いています。
ぜひインターステラーを観てみてくださいね^^
それでは今回もここまで読んでいただきありがとうございました!
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