【絶望している時こそ委ねるチャンス】
こちらの記事→強力に宇宙に委ねる方法を投稿しましたら、読者様から嬉しいメッセージをいただきました✨
その記事に書いた”宇宙に完全に委ねるセリフ”をアレンジしてやられてみたそうで、なんと行き詰まっていた状況が突然よくなったのだそうです✨
いや〜これは嬉しいですね❣️
私もずっとずっと自分の力でなんとかしたいという思いを握りしめていたのですが、
宇宙はやっぱり最善の方法を知っているんですね。
特に絶望している時というのは、エゴが万策尽き果てた状態ですので明け渡しがしやすい状況なんです。
2/1から私の次の人生がスタートしていますが、展開がすごい早いんです。
こんなにうまくいくんだ〜!というくらいの感覚で、
長年人生ハードモードで生きてきた私としてはびっくりな展開なんですよね。
委ねたら私が握りしめていた最善だと思っていたルートよりもはるかに良いルートが用意されて、
豊かさいっぱいの道を歩き始めております☺️✨
今回のブログでは、以前私が経営に行き詰まってしまい、もう死ぬしかないと思った矢先に訪れた素晴らしい奇跡のお話を書こうと思います。
人生生きていれば色々なことは起きてきますよね。今から書く内容ですが、どなたかの希望になれば良いなぁと思っております☺️
ある時の私は急に人生の流れが悪くなったような、人生でかなり行き詰まっている状態が続いていました。
「なんでこんなにうまくいかないんだろう?いったい私の何がよくないんだろう?どうしたらいいんだろう?こんなに頑張っているのに。」
とすごい悩んでいたんです。
エゴとしての「なおさん」は恐怖に怯えておりました。
売り上げが急に落ち込み、どんどん支払いが滞ってしまったのです。
その改善策としてはなんとしてでも売り上げを上げることだったので、
自分で出来る広報活動を必死にやっておりました。
しかし思ったような結果は得られず…。
もう本当に絶望していたんです。
口座残高も1000円以下になってしまい、電車に乗ることさえも躊躇していました。
人に頼ることが苦手な私は、限界ギリギリまで自分の身に起きていることを人に話しませんでした。
その間必死に広報活動をしては、自分にできることを一生懸命やっておりました。
それでも一向に状況は良くならなかったので、ついに身内にお金を貸してくれないかと頼ってみたのです。
でも答えはNOでした。
重いものを持ってもらうことすらも頼るのが苦手な私が、
お金のことについて頼るのはものすごい恐怖でした。
でももう頼る以外に選択肢がなかったので、嫌われる覚悟で知人に話してみたのです。
そうしたら、
「うちも子どもの学費のために借入しないといけなくて、本当は助けたいのは山々なんだけどごめんね。」
と断られてしまいました。
もう1人の知人からも同じような理由で断られてしまい、
私は気丈に振る舞っていたのですが、自宅に帰った途端に泣き崩れてしまいました。
どんなに頑張っても報われない。助けを求めてもだめだった。
なんだか世界中から、
「お前なんかもうこの世界には必要ないから死んでしまえ。」
と言われているような気分になって、声をあげて泣いていました。
この時になんだか自分が誰かに笑われているような感覚がしたんです。
嘲笑うような感じではなく、私をあたたかく見守っている人が笑っているような感覚だったんです。
この感覚はなんだろうと思っていた時に、また別のことに気づきました。
「いや、まてよ。」
世界を創っているのは自分なわけです。
相手は自分の思い込み通りに動くわけです。これは科学的にも証明されています(内容は後にひとつの記事として詳しく書こうと思います)。
ということは、知人が私の助けを断るようにしたのも私がやったわけです。
この最悪な絶体絶命の行き詰まった状況を創り上げて、さらに助けをこないようにしてここまで追い詰めた張本人は”私”ということになるのです。
私は、この最悪のシナリオをいったいなんのために創り上げたんだろう?と考えてみました。
頭の中で質問を投げかければ必ず潜在意識はその答えを見せてくれます。
そこで見つけ出された答えは、
「私はいつ死んでもいい。」
という口癖を常日頃から言っていたことと、本気で思い込んでいたことだったのです。
私はよくこの口癖を言っていました。
ちょっと絶望に近いニュアンスで言っていたのもあります。
「もうだいたいのこの世の仕組みは分かったし、喜びはすぐ消えるものだからいつ死んでもいい。」
という思い込みから言っていたものでした。
そこから空の境地を掴んでからは、
「全ては喜びなのだからもういつ死んでもOK!!」
というニュアンスに変わり、今まで書いてきたこちらのブログにもたびたび、
「私はいつ死んでも良いと思っています。」
という言葉は書いています。
ただ、この意味を私の潜在意識は別の意味に解釈していたようです。
それは、
「私はいつでも死に追いやられても良い状況を創造します。」
というものだったのです。
原因探しをしていたら、私の潜在意識が真っ先にこの答えを持ってきてくれたのでした。
あぁ、これが原因だったのか…。
と思ったのです。いかに口癖のパワーが強いことかと実感したのでした。
思えばこの口癖はもう10年以上言っていたものになります。
潜在意識は、
「それが欲しいんだね!分かった!!」
と素直に現実を創造してくれるとっても素直で力強い存在なんです。
だから私はたびたび絶体絶命の状況を創り上げていたんです。
「私はいつでも死んでもいい。」
と心から言いたくなるような状況を、です。
そこからはちょっと怒りに変わりました。
マッチポンプな自分が許せなかったんです。もちろん頭の中のエゴVSエゴの話なのですが。
ここできっぱりと、もうその口癖はやめようと決意したのでした。
「まだ死にたくない。」
本気で思いました。はじめて強く心から生きたいと思いました。
「生きてやる。今度こそ本気で生きてやる。」
そう言ってすぐにヤフーの検索履歴の「自殺 すぐ楽になるもの」というものを全部消して、
散らかったお部屋を綺麗に片付けて掃除をして、お風呂に入って、涙で悲惨になったメイクを綺麗に落として、
「宇宙に全て委ねます。私を好きに使ってください。私の事業ももうコントロールしません。あなたの好きにしてください。行動すべきであるのならそれを示してください。行動する準備は出来ています。でももう私が必要でないのなら、今すぐに殺してください。」
と宣言しました。シャワーを浴びながら宣言していました。そうしたらほんの数分前まで台所でコートを着込んだまま泣き崩れていたのに、別人のような私がご機嫌で湯船に浸かっていたのでした。
私がまだ宇宙に必要とされているのなら、この危機的状況はなんらかの方法で改善されるはず。
でもこれに対して何も期待はしていませんでした。そもそも頭の中の声は私ではないし、
いずれは土に還る運命。もうどうでもいいや!くらいの感覚でした。
私という頭の中のエゴ氏は、たった数十年分の情報量しか持っていないので、そこから解決策を検索するとなると、それは完璧ではないものしかないのです。
そして解決策が「分からない」からこそ恐怖は生まれ、拡大します。
それならばもう最初から全てを知っている宇宙に委ねた方が良いのです。
分からないことを嘆くことは、より恐怖を拡大させるしかないのですから。
エゴには見えていないだけで、全体が分かる宇宙は何が最善か「分かっている」のです。
解決策を「分かりたい」気持ちもあります。これはエゴの特徴です。
でもその気持ちを抱えることすらも「分かること」を遠ざけてしまうので、これはエゴの特徴なのだと冷静に見つめながら全てを委ねました。
その日はすっきりとした気持ちで眠りにつきました。
翌朝、瞼が思っていたよりもそんなに腫れていなくてほっとしながらいつものようにメイクをしたあとに、
起床した時に降りてきたアイディアを半ば疑いながらも実行しました。
そうしたら問題はいとも簡単に解決されてしまったのでした。
その日、今すぐ必要な資金を握りしめてATMに入金をしてほっとしていた私がいました。
まさかこんなに素晴らしい解決策があったなんて本当に想像もつかないなと思いながら、
安堵の気持ちでいっぱいになっていました。
さらにその後、私は想像を超えた豊かさが溢れる道へと進むことになったのです。
あの日私が暗い台所で大号泣していた時に別次元の窓から笑ってみていた人の正体は、
今こうしてブログを書きながらその場面を思い出している私だと思います。
ドラマの起承転結の「転」にあたるところは、俳優さんの迫真の演技でとにかく引き込まれるものです。
一度目にそれをみたら、ドラマを演じている俳優さんに同情して泣いてしまうというような、様々な感情が湧き起こることもあるでしょう。
しかし二度目、三度目に同じシーンをみたら湧き起こる感情はまた違ったものになります。
その先に起こる奇跡の展開を知っているので、人によってはニヤニヤしながら、
「ここからがすっごく良い展開になるんだよね〜!」
というふうにワクワクしながらみていることでしょう。
だから私があの時、台所の前でうずくまってボロボロ泣いていた時に聞こえてきた笑い声は、
決してバカにしたような笑いではなく、
「ここからすごい展開なんだよな〜!!」
という歓喜の声だったのだと思います。
もちろん、実際に笑い声が聞こえてきたわけではなく、なんとなく誰かに笑われているような気がしたという意味です。
絶望し切っている時にその様子を誰かに笑われると本人としては腹が立ちますが、
この後の展開を全て知っている人からの歓喜の声だとしたら、それは天使のラッパくらい美しいものだと思います。
そして実際にその後に心の中で湧いてきたインスピレーション通りのことを実行したら、
思った以上の奇跡に包まれ、問題はいとも簡単に消滅したのでした。
さらに私を待っていたのは有り余る豊かさだったのです。
私は売り上げを上げたいと必死になっていたのですが、
もたらされた解決策は売り上げを上げることではありませんでした。
そしてその解決策は、後により多くの豊かさを引き寄せるものとなり、
素晴らしい宝物となったのです。
本当に、時空を超えた私が見ていた一連の流れは、奇跡の流れだったのです。
もし私があのまま、売り上げをあげようと1人で必死に頑張っていたら最悪なルートにいっていたと思います。
そして今こうして過去の出来事を振り返ると、私の事業の売り上げが急激に下がった理由が良く分かります。
それは、人生のステップアップとして必要なことだったのです。
さらには、別のとびきり素晴らしい人生へのレールチェンジの瞬間だったのです。
電車のレールというものは、ある地点で途切れていてそこから別のレールに移りかわって走行しています。
まさに私は以前の人生において事業がどんどん低迷していったのはそのレールが途切れていた場所だったんです。
でもレールが途切れているところはただの「道を乗り換える地点」であって、
何もあんなに絶望することはなかったのです。しかしエゴ目線では絶望でしかありません。
目の前にレールがなくなっているからです。これ以上どう走っていいのか分からないからなんです。
そしてエゴは言います。
「このレール(人生)でなきゃ嫌だ!!」
と。他のレール(人生)を歩むことが嫌なのです。これは食わず嫌いでもあります。
本当は歩んでみなければ分からないのに、想像を超えたことをやるのが嫌なのです。
しかしいったん全てを見通す管制官に指揮権を委ねてしまえば、
「あー、ここはレールチェンジですねー!!より良い人生にシフトしますよー!」
というふうに変えてもらえるのです。
そうしていざレール(人生)をチェンジしてしまえば、そこは想像を超えた素晴らしいレール(人生)だったのだと気付かされるのです。
さらに言えば、エゴが操縦席をジャックしていた運転は、非常に危なかったのだと気付かされるのです。
操縦席をジャックしたまま進んだら、レールを外れて事故を起こしていたことでしょう。
本当の意味で死んでいたと思います。
はい、そういった経緯を経て今の私が在ります。
今の私は、かつて絶対にやりたくないと思っていたことを心の底から楽しみながらやっているんです。
それは何かと言いますと、「組織に所属すること」なんです。
最近、とある組織にお邪魔して一緒にお仕事をさせていただくことになったのですが、
これがもう楽しくて仕方がないんです。
以前の私は、もうどこかの組織に所属することは一生ないと思っていたくらい、「所属すること」を毛嫌いしていました。
しかし、レールチェンジしてからは組織に所属することの素晴らしさが身に染みています。
私は、「仲間」とか、「家族」という単語がものすごく嫌いだったんです。聞くだけで激しい嫌悪感が湧き上がっていました。
それはかつて、
「なおちゃんは仲間だよ。」
とか、
「なおちゃんは家族だからなんでも言ってね。」
と言ってくれた人たちから裏切られたことがあったからなのですが、
今ではそういった過去の思い込みが消えて、ただただ毎日顔を合わせる人たちと協力して新しいものを生み出すのが楽しくて仕方がありません。
宇宙は私を組織に置くべきだと判断したのでしょう。
委ねていたらまさか、自分がもう二度とやらないと思っていたことをやるとは…!
そしてこれが思った以上に私の活力になっているので幸せです☺️
本屋さんにいけば、宇宙に委ねるとすごいことが起きるといった類の本がたくさんあります。
読んでいると元気が出ますし試したくもなります。
ただ、エゴはいつも、
「委ねることがすごい大事なのは分かったけど….これだけは譲りたくない。」
というものを提示してきます。
「委ねますが、これだけは叶えてね!!このルールだけは死守してね!!」
みたいな感じなんです。
それは自分が貫いてきたことであったり、自分の好みであったり、なんとしてでもこうしたいというこだわりであったり、これだけは譲れないというものであったり、自分が離したくないものです。
それを手離したら痛い目に遭うと思っていたり、それがないと幸せではないと思っているのです。
これでは完全に委ねていないんです。
でもいざ私がこだわりまでも全て手放した結果、実はそのこだわりこそが最大の毒だったのだと気付かされたのでした。
もちろん、自分のこだわりが宝なのか毒なのかは宇宙目線にならなければ分かりません。
それも委ねた後にならなければ分かりません。
宇宙に委ねるコツは、まさにそのこだわりも捨てられるかにかかっています。
だから人生で行き詰まって、エゴが
「万策尽き果てました….。降参です….。」
と白旗をあげた時は完全にこだわりすらも手放している状態ですので、奇跡が起こりやすいんです。
しかし何も私のように追い詰める必要はありません。
私が悩んでいる方にお伝えしたいのは、自分を追い詰める前に宇宙に委ねて欲しいということです。
そして1番自信を持ってお伝えしたいのは、何もかも委ねてしまって大丈夫ということです。
あなたが握りしめているこだわりも宇宙に委ねてしまって大丈夫ですよ、ということは1番声を大にしてお伝えしたいです。
こだわりすらも手放すということは、
例えるなら大事にしている大切なおもちゃを信頼できる大人に手渡したら、
ぴかぴかなおもちゃになって返ってくるというようなものなのです。なんならおまけとして他の新品なおもちゃや美味しいお菓子までも与えられるという感じなのです。
私は絶対絶命であったあの日、自分のこだわりであったボロボロのおもちゃを震えながら宇宙に手渡しました。
そのおもちゃ(こだわり)は、
・絶対に1人でやりたいということ
・もう二度と組織には所属しないこと
・誰も頼らず1人で成し遂げること
というものでした。
これはずっとずっと何があっても手放したくないものであり、あまりにも長く抱えていたためボロボロのおもちゃでした。
そのおもちゃを宇宙に渡した結果、ぴかぴかのおもちゃとなって返ってきたのです。さらには他の新品のおもちゃやゲーム、とびきり美味しいお菓子や絵本なども与えられたのでした。
それは、
・信頼できる素敵な人たちがいること
・本来の私の強みが発揮される現場があること
・それを求めてくれる人たちがいること
・やりたいというビジョンを妥協なしで叶えられること
・これ以上にもない豊かさで溢れていること
・やること全てが楽しいこと
だったのです。
いざこうして新しいおもちゃを与えられた私は、本当に宇宙ってすごいんだなぁと思いました。
毎朝起きるたびにこの奇跡に感謝しています。一瞬一瞬を夢中に生きています。
生きるってこんなに楽しいんだなぁという思いに浸りながら生きています。
一冊の本に書きたいくらい、私の人生の中で起きた大きな奇跡のお話です。
だからぜひ、みなさんも何か委ねてみてください。
私のように絶体絶命な時でも、日常のちょっとしたことでもいいんです。
小さなことから試してみるのも良いでしょう。
人間関係で悩んでいるのならば、その悩みの種である人物にアプローチするのではなく、
宇宙にその人と自分、悩みそのものを任せてみましょう。
その場合は、
・この人から何か学ぶ必要があるのならはっきり示してください。もしそれがないのなら、今の状況を楽しめる私に変えてください。
と言ってみてください。もちろん納得のいく文章にアレンジしていただいてOKです。
言った後に心がすっきりすれば委ねられたサインです。
楽しんでやってみましょう。
その後に思いついたものはとりあえずやってみてください。
中にはエゴが、
「えー💦これをやるの?💦」
と躊躇するようなアイディアもあるかもしれません。
それもぜひやってみてください。とりあえず心に湧いてきたアイディアやアナウンスは実行してみてください。エゴがうるさいかもしれませんが、やってみなければ分からないのだというふうに言い聞かせてやってみてください。そうすれば思った以上の結果が得られることもあれば、
別の素晴らしい世界へシフトできることがあります。
そうして練習していけば、エゴのためらいは何の根拠もないただの食わず嫌いだったのだと知ることでしょう。
全て(全人類、時空感も含めて)を見通している宇宙の目 VS 目の前のことしか見えないand食わず嫌いのエゴの目
これらはどちらが勝利を納めるのかは明白でしょう。
ぜひ、ゲーム感覚でやってみましょう✨
そうして日々委ねることの奇跡を体験していけば、どんどん主導権を宇宙に明け渡すことが出来て想像を超えた日常へ進化していること間違いなしです☺️
私がお約束します。
あなたの幸運を祈っております。もし実践して嬉しいことが起きましたらこっそり教えていただけると嬉しいです^^
それでは今回もここまで読んでいただきありがとうございました✨
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