まず大前提として、「私」だと思っている自我は本当の私ではありません。
本当の私たちはひとつの意識(内面の無限の空間)そのものです。
その内面の無限の空間に入れ替わり立ち替わりやってくるのが思考や感情で、あらゆる思考感情の集合体が「自我」です。
私たちの自我は多重人格です。
昨日までの自分と性格が違うことは多くの人たちが実感していることだと思います。
偉い人とお話ししている時と友達とお話ししている時のキャラクターは別人格ですし、
仮面を入れ替えて話していると感じることがよくあると思います。
特に女性は月に4回性格が変わると言われています。
ホルモンバランスに波があるからです。
また、普段食べている食べ物の質でも性格が変わります。腸内環境が整っている人はハッピーオーラでいっぱいですが、
ジャンクフードばかり食べている人は腸内環境が大荒れ模様ですのでキレやすい人が多いことも事実です。
男女問わず自分の内側がどうなっているかによって立ち入ってくるキャラの質(?)も変わってくることが分かります。
自分の内側を完全に俯瞰できるようになってからは、自分の内面にやってくる自我さんがすごいたくさんのキャラクターの数々で、とてもカオスなことになっていることに気づきました。
私は中学生時代から自分のことを多重人格だと思ってきました。
これはテレビで出るようなガチの多重人格の人たちの類ではなく(彼らは人格が入れ替わっている間の記憶は消えているため)、
人間関係を生き抜くための手段としてただの八方美人だっただけなのですが、ある日それを強烈に批判された時にすごく疑問に思ったんですよね。
なぜなら私はこの世界の住人は全員多重人格だと思っていたからです。
例えるなら母親と接する時の態度で教師には接しないからです。
中学時代の私は同級生にいじめられていたので、人から嫌われることを過度に恐れて誰にでもいい顔をしていたのですが、その生きる術である八方美人や、その時の気分によって人に優しくできたり冷たくしたりすることに対して、どこか冷静に俯瞰しているもう1人の自分がいるようにも感じていました。
今ではそのもう1人の自分の視点でいるようにしているので、この世界のドラマに巻き込まれることもなくなりました。
人は思考感情で苦しみます。
あらゆる苦しみの根源は自我です。
自我は本当の自分ではありません。
私は特に神経質で、人からのものの言い方が気になり過敏に反応するタイプでした。
普通の人が気にならない程度のものの言い方に非常に頭にきてしまうので、家に帰ってから言われたことを何度も反芻して感情的になっていたことが多々ありました。
しかし冷静になって考えてみると自分を苦しめているのは思考なんですよね。
わざわざ反応して苦しむことを選んでいるんです。
それに気づいてからはものの言い方に腹が立つ選択をあまり取らないようになりました。
瞑想はある意味、反応しない練習でもあります。
我慢するという意味ではありません。むしろ空を掴んでからは人に言いたいことがその場で言えるようになりました。
言いたいことを言ってしまうと人から嫌われるという思い込みが浄化されて、不快なことを言われたらしっかりとその場で納得のいくまで話せるようになりました。
それも相手のためになることだと思います。
大事なことは終わったことを何度も何度も頭の中で反芻しないことなんです。
私がひどい鬱だった時は何度も頭の中で嫌なことや辛かったことを何度も再生してしまっていました。
こうして永遠に地の底を掘り続けていた頃の私と、復活して幸せになった時とだいぶすごい高低差を体験したわけですが、
自分の内側の空間に居座っているのが誰なのかによって訪れる現実が全く変わってきます。
自分の内側に居座り、操縦桿を握っているのは誰なのかと見張ってみると瞬時にその犯人は消えます。
そんなものは最初から存在しないからです。
疑うことで消えてしまうんです。
今まで散々幻のキャラクターに悩まされてきたわけです。
鬱状態の時は特にその幻のキャラクターは永遠とマイナスな発言をし続けています。
それをまともに受け止め続けているからきつくなるのですが、
ふとした時に客観的に眺めてみるとそのきついところから抜け出せます。
身近な人の愚痴・不平・不満に悩まされている人はダイレクトにその言葉を受け止めて悩んでいるのですが、
面白いものを眺めていると思ってただ客観的に眺めていれば影響を受けることはありません。
「ああ、この人も神であることを忘れて役に没頭してしまっている…。」
そう思えば良いと思います。
さらに言えば愚痴・不平・不満を聞かされて苦しんでいるのもその人の自我さんです。
その自我さんを客観的に眺めてみれば抜け出せます。
本当の自分はこれではないと疑ってみることです。
ひたすら疑いましょう。
「これは誰?本当の私ではない。これは誰?これは誰?これは誰?」
回数です。抜け出せるまで問うてみるといいのです。大抵の人は回数が足りないからまた悩みます。
思考がざわついた時はひたすら疑うんです。
「これは誰?本当の私ではない。これは誰?これは誰?これは誰?」
誰かに勝手に期待して勝手に見返りを求めてしまうようなそのやましい感情も本当の自分ではないのです。
「これは誰?本当の私ではない。これは誰?これは誰?これは誰?」
これの問いに答えてくれる人は誰もいません。なぜならそんな思考、自我は最初から存在しないからです。
悩みが出て苦しんだら問うんです。
「これは誰?本当の私ではない。これは誰?これは誰?これは誰?」
でも自我は悩んでいたいんです。自分が存続するためには不平不満が欲しいのです。
だから宿主に錯覚させるんです。たくさんの幻を見せてくるんです。
あの人の愚痴がひどい、あの上司がうるさい、お金がない、夫がつかえない、彼女の機嫌が悪い、自分が何かしてしまったのかな、どうしたら良いか分からない、ママ友との関係が嫌だ、子どもがいうことを聞かない、ああああああetc.
「それって本当ですか?」
「それを言っているのは誰ですか?」
「それで悩んでいるのは誰ですか?」
魔法の質問です。困った時はひたすら問うてみましょう。
自我さんが不在になり悩みが消えます。そして問題の原因は消えてしまうので現実世界も穏やかになります。
しかしその問題が消えてしまうと困るのは自我さんです。
新しいゲームを常に探しているからです。そうです、あいつらはそんなやつらなんです。タチが悪いんです。
実は平和が大嫌いなんです。退屈が1番嫌なんです。だから常に不平不満を見つけていたいんです。
彼らにとってこれはゲームなんです。何よりも嬉しいゲームで、どんなに辛いことでも実は喜んでいたりするんです。
苦しみながらも頂点に達したとして、
「あの時あんなに苦しんだけどなんだかんだ楽しかったよね。」
と言えるように全ての過去が美化されるのはゲームに必要なシステムなのだと思います。
自我さんの性質を知っていれば楽になります。
「でも考えていないって、退屈ですよね?」
はい、それも自我さんです。ひたすら疑いましょう。そこに引っ掛かるとまたドラマの世界に引きずり戻されます。
考えないことのメリットを自我さんは知らないから抵抗してきます。
次回に続きます。
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