至福の境地である「空の境地」にいると、こんなにも近くにその境地はあったのだとしみじみ思います。
長年、頭の上にかけていたメガネを必死に探していたような感じです。
自分だと思っていた思考の声も、騒ぎ出す時はありますが自分ではないのだと知っているのですぐに手放すことが出来ます。
「宇宙に委ねる生き方が最善の生き方である。」
ということは頭では知っていたのですが、やり方が分からないのでだいぶ遠回りをしてきたかもしれません。
しかしその分人が陥りやすい思考の罠にも気づくことが出来ました。
それではどうやったら委ねられるようになるのかと言いますと、まずは感覚を研ぎ澄ませることです。
自分が生まれてきてから今日に至るまで唯一、変わらなかったものが「存在の感覚」です。
それに気づき、その感覚を感じていることです。
「意識不明」で倒れている人以外、「意識」はありますよね。
あまり詳しく書くと難しく考えてしまう人がいるのですがどシンプルに捉えて欲しいのですが、
「存在の感覚」とは、文字通り自分が存在している感覚です。
今この瞬間に、全てを感じている意識です。
それに気づき、感じることです。
そうすると次第に安心感やシーンとした静寂を感じると思います。
ただその感覚に浸っているだけで良いのです。
そして目の前に流れてきたやるべきことをこなしていれば、自然と全てがうまくいきます。
今がどんな状況でも、必ず軌道修正されてうまくいきます。
これがハンドルを手放して宇宙の自動運転におまかせするという感じです。
この「存在の感覚」に集中していると、何ものにも影響されず、ただどっしりとそこにあることが分かると思います。
何かに対し笑っている時でも、悲しんでいる時も、その存在の感覚は何もジャッジせずただそこにあります。
それこそが本当の私たちです。
昨日はずっとその存在の感覚を意識していました。
本当にその感覚とは、永遠に変わらず、何からも影響を受けないといった境地だなぁと感じながら幸せな気持ちに浸っておりました。
こんなにも近くにあったのに全く気が付きませんでした。
そんな時にふと思ったのですが、私たちは毎日日を重ねるごとにいつのまにか老化し、人生の大イベントと言われるような行事を体験したり、あらゆる変化を体験していきます。時には退屈な日々もあることでしょう。
もしかするとそれが人生の大半だと言いたくなる人もいるかもしれません。
そうしていつの日か死にます。
その死の訪れる日というのは、いつだって「今この瞬間」です。
私がイメージしていた死とは、大きな事件が起きて、病気であったり、事故であったり、そうして葛藤しながら死ぬものだと考えていました。
しかしいつだって起きることは「今この瞬間」です。
私は毎日非常に穏やかで平和な日常を送っているのですが、そんな日々の中で緩やかに、食事の時間が自然にくるようなことと同じような感じで死を迎えるんだろうなと思いました。
万物には全て綻びがあります。物は劣化し、壊れていき、人との出会いは必ず別れがあります。しかし唯一絶対的なものが「空の境地」であり、永遠のものです。
多くの人は綻びに対して抵抗します。何かに執着したり、余計に人を縛り、苦しみを生み出します。
ですがその綻びも受け入れることで私はより人との関係であったり、自分の立場であったり、以前よりも楽しめるようになってきたように感じます。
仮想世界のゲームを楽しむような感じです。
大いなる源に還って安らいでいることもありですし、仮想世界のゲームにどっぷりハマるのもありだと思います。
その行き来ができるようになって楽しいなと思います^^
そんなことを考えながら昨夜は絵を描いていました。
以前よりも描きあげるスピードが早くなって嬉しく思います☺️
お手本を見ないと描けないのですが、そのうち描けるようになるはずです^^
アニメ進撃の巨人より名シーンを描きました☺️大好きなシーンです。
ということで今日は日記でした。
最後まで読んでいただきありがとうございました✨
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