そこにいることによって、全てが直ちに幸せへと生まれ変わる魔法の境地があります。
それが空の境地。
それはいつだってここにあります。あまりにも近すぎて見えないですし、探そうとしても無理です。
それはすでにここにあるからです。
私(なお)がなおを探すことなどできないからです。それはすでに見つけているからです。
探そうとすれば「探している」行為を続けているので、その前提には「今ここにはない」があり、それを助長させています。
みなさんも本質は空の境地であり幸せそのものです。それに気づくことは至極簡単です^^
さて、本日は人間関係についてのお話を書いていきます。
私は空の境地を掴んでからは、目の前の人たちが見た目は違うけれど同じ自分だと思えるようになりました。
自分のことを喜んで傷つける人ってあまりいないと思うんです。
もちろん極限の精神状態で自傷行為に走る方もいます。私も学生時代はあまりにも辛すぎて自傷行為に走っていた時期がありました。
しかしこういった極限の状態でさえも、求めていることは「幸せ」なのではないでしょうか。
自傷行為を通して幸せを求めているとも言えます。これは一つの癖ですが、実際に自分の肉体を傷つけることで快感を得ている人もいます。
ここでいう傷つけるとは、精神に関することです。
誰も自分の心を痛めつけて喜ぶ人はいません。
それに気づいたエピソードをご紹介します。
数年前に私はとても痛い経験をしました。
お世話になった人とトラブルになったんです。
その方は私を救ってくれた人であり、私の人生を変えてくれた方でした。
しかしその方のご友人が、
「なおちゃんが裏でこんなことを言っていたよ。あなた悪口言われてるよ。」
ということを恩師に吹き込んでいたらしく、それを聞いた恩師は私に大激怒し、
私はそれは違うと訴えたものの全く聞き入れられずに結局仲が破綻してしまったのでした。
この事件に関して私はしばらく絶望していました。
嘘の情報を流すなんてひどいなぁと思いながら毎日泣いていました。
そのご友人の方の心の汚さに衝撃を受けて恨みを抱きましたし、自分よりもご友人の意見を信じた恩師にも悲しみを抱きました。
諦めの気持ちで、私よりも交友期間が長かったからそちらを選んだのかと思うようにしたのでした。
数年前のこの事件はここで終わって、私は2人とは縁が切れている状態です。
しかし今空の境地を掴んでからは分かることがあります。
それは必要だから起きたことだったからです。
この事件がきっかけで、私はいまだにお世話になっているキーパーソン的な人と出会うことになるんです。
もしこの事件がなかったら出会うことのない人でした。
私のような凡人が普通に生きていて出会えるような人ではありません。
その人に出会ってからはお仕事に関して必要なことをたくさん教えていただきました。
もしかすると時空を超えて全てを知っている私が、あえて事件を起こさせて2人と縁を切らせたのかなと思っているんです。
一見、過去の事件は個人目線でみたらかなり悪質で許し難いものです。
しかしこれがもし、ドラマの世界だとしたら?
そしてこのドラマのキャストが、実は1人だとしたら?
1人3役やっていたとしたら?
そして脚本を考えたのもそのキャストだとしたら?
例えば私は最初に脚本を考えます。
そして主人公である「なお」と、恩師と、そのご友人の役を考えます。
そこから1人で、恩師に嘘を吹き込むご友人の役と、「なお」に激怒する恩師の役、そして嘆き悲しむ「なお」の役をやるんです。
ここには何が残りますか?
幻しか残りませんよね。
人間関係はそのような感じだと私は思っています。
その脚本があるからこそ、「なお」は別の道に進めたんです。
そしてその脚本は同一人物の中で、
「えー!私が嘘を吹き込む役!?」
とか、
「えー!私が激怒する役か〜!」
とか言いながら喜んでいるわけです。しかも同一人物で笑。
全部独り言なわけです。
すごく滑稽だと思いませんか?
それに気づいた時は、私はもう過去の事件についての恨みは綺麗さっぱり消えてしまったのでした。
全て同一人物。全て幻。全て起こるべくして起こったこと。
それが腑に落ちた時は、人生において目の前の人間関係は全てキャストが1人で演じているものであり、
そこに良い悪いはないのだと気づきました。ただのドラマ。以上。善悪もない。
さらにほとんどの人は、自分の役柄に没頭しすぎて自分が神であることを忘れてしまっているんです。
神が個になりきることで、それが本当に個として分離します。
全知全能ならその全てが叶えられるからです。
そして神は全てです。目に映る全てが神であり、ひとつです。
目の前の女性が自分であるならば、その人を苦しめたいと思いますか?
よほどのMでない限りはそんなことはしたくないはずです。
まあ確かに自分をイラつかせる言動行動をする母親や、わがままな旦那さん、言うことを聞いてくれないお子さんに対して色々思うことはあると思います。
そんな時は爆発した感情から一旦落ち着いて、ふと冷静になった時にお相手の本質にアクセスするような意識でお相手と向き合ってみてください。
そこには自分と全く同じモノが存在していると、感覚的に分かるはずです。
もちろん目に見えないものにアクセスしようとするのでこれに対して、
「私はそんな特別な力はないよ!」
と思われる方もいると思います。しかしこれは特別な能力は全く必要がなく、人間に本来備わっている感覚です。
見様見真似で、相手の本質であり自分と同じ本質を見ようとしてみてください。
そうするとお相手の心が開いた瞬間がなんとなく分かるはずです。
これは特別な才能や霊感などは一切必要ありません。
右手と左手が中心では繋がっていることと同じように、必ず相手と調和の取れる関係性に戻ることができます。
ぜひ、身近な大切な人に試してみてくださいね^^
ほぼ100%、その人との共通点が分かったり、その人の本来の美しさを知ることが出来ます。
それを引き出しているのがあなたです。
コミュニケーションが苦手だと思っている方は、お相手との分離意識から来ていることが考えられます。
本来、全ての関係性は対等であることを忘れているので、苦手意識が生まれます。
しかし目の前の人が形を変えた自分だとしたら?
右手が左手に苦手意識を持ちますか?
左右の腕の中心では全てが繋がっていますよね。もしあなたが右手の目線であり、左手に苦手意識があるならば、右手の指先から肘の方向へ、その根源である中心へ戻ろうと意識してみてください。
そこには全てがあります。全てと繋がっていて、調和だけがそこにあります。
人間関係を上下で見てしまうと差別意識が生まれます。
人を上から見ても、下から見上げても本当のコミュニケーションは生まれません。
もしこの記事を読んで、
「でも嫌いな人はいるし、絶対に受け入れたくない!」
と思われる方もいると思います。それはそれで良いです。
まずは嫌いな人に対してエネルギーを注ぐことをやめて、大好きな人に意識を向けてみましょう。
人は嫌いなものにエネルギーを注ぎがちです。
そのエネルギーを大好きな人、大切な人、推しの素敵なあの子に向けることで心の平安は保たれます。
そうしながら瞑想を続けていくと、ある日突然差別意識がなくなっていたことに気づくと思います。
不思議なことにその差別意識がなくなることで、目に映る人たちが素敵な人たちだらけになったり、
YouTubeなどで迷惑行為をしている人たちを見かけたとしてもなんとも思わなくなります。
いつだって平安な境地でいられるので、自分に余裕を持てるようになり、誰かとの会話に困ることもなくなっていきます^^
そうしていたら人を愛し愛される喜びを本当の意味で体感することが出来ます。
その世界で生きることが人として生まれた喜びのひとつだと思います。
ぜひ、楽しみながら実践してみてくださいね^^
もしすごいことが起こりましたらシェアしていただけると嬉しいです✨
それでは今回もここまで読んでいただきありがとうございました✨
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