【目指すべきは”輝かしい未来”ではなく、”永遠の至福で満たされている今この瞬間”である。】
今朝、朝食を食べながらそんなことを考えておりました🤔
私は今まで、将来ばかりを気にして今を犠牲にしてきました。
今の自分は不足だらけであるため、もっと成長すべきだという前提があったため、永遠に”輝かしい未来”を追い求めていたのですが、
前提が「今の自分は不足だらけであるため、もっと成長すべきだ。」というものがあるため、
ずーっと現実は変わらないんですよね🤔
幻である未来を追いかけているので、永遠にそれがくることはないからです。
全ての願いが叶うのは、今この瞬間にしかないからです。
そんな思い込みが消えると、完全に至福の世界がやってきます。
「未来を幸せにするために」
ということと、
「今幸せで在ること」
はパワーが全く違います。前提が全く違うからです。今幸せであるから1秒先に訪れることも幸せなものになるのです。
今この瞬間にただ在るだけで、幸せになり、勝手に現実も整って来ます。めちゃくちゃ頑張らなくても….。
【自分の嫌いなものに抵抗すると、その嫌いなものは力を増して自分に嫌なことをしてくる。】
空の境地に至るためには自我を手放すことが必要になってくるのですが、まずは自我に抵抗しないことが大事だなと思いました。
一見、抵抗してしまいがちですが、抵抗せず受け入れることがとても大事になってきます。
抵抗せず受け入れることでどんな奇跡を生むのか、いくつかエピソードがあります。
昔のことを思い出したのですが、
私は小学6年生の時、その学校では朝は集団登校だったので、
6年生が班長になって家の近所の子どもたちを引き連れていく役目があったのですが、新学期になった時にとある一年生を班に迎え入れることになりました。
その子は隣の家に住んでいる女の子(Mちゃん)で、小学校の入学前から知っている女の子でした。
私の班に入ることは分かっていたのですが、Mちゃんはなかなかの悪ガキだったことは知っていたので、
班の中で悪さをするんじゃないかとか、みんなと仲良く出来るのかどうか、
どうしたら班が平和になるか6年生ながらに考えていたことがありました。
隣の家に住んでいたので、Mちゃんの悪っぷりはたくさん見てきました。
夜中まで騒いでいたり、ガキ大将的な存在だったので他の子を泣かせたり、意地悪したり、
遠くから見ていてさすがにあの性格の悪さはひどいなぁ….と思っておりました^^;
周囲の大人から注意されても全く言うことをきかないことは分かっていたので、
いざ班に迎え入れた時に、
「Mちゃん、いつも回覧板持ってきてくれてありがとう!なおちゃん嬉しいよ!これからもよろしくね!」
と声をかけたところ、その日からびっくりするぐらいいい子になって、めちゃくちゃ懐かれたんです(笑)。
班の中にいても誰とも喧嘩せず、みんなと仲良くしてくれて、夜型のMちゃんでも夏休みのラジオ体操にもほぼ毎日来てくれて一緒に体操しておりました。
もし私が、
「悪ガキだから徹底的に叱っておかなければ!」
と思っていたらますますMちゃんは抵抗してきたことだと思います。
普段大人に叱られっぱなしのMちゃんにとって、誰かに迎え入れられることはあまりなかったのかもしれません。
たびたび悪い噂は聞きましたが、私といる時はとてもいい子にしてくれました。
お家が隣だったので、よく、
「ハンチョウさーーーん!!」
と手を振ってくれた時は嬉しかったです。私が班長をやめて中学生になってもずっと班長さんと呼んでくれてすごく可愛いなと思っておりました。
その時から、
「人は何かに抵抗しなければ、平和になるんだなぁ。」
と気づいてはいました。
私はこのことが教訓になったのか、クラスメイトでちょっと荒れている生徒がいても
抵抗せず普通の人として接していました。
彼らが裏で悪いことをしていても、
「ははっそんなことしてたんだー。楽しかった?」
という感じで否定はせず、ただ受け入れていました。
そのおかげで私の友達のジャンルは、不登校がちの生徒から優等生、そしてヤンキーに至るまで多岐にわたっていたと思います。
中学校に上がった時、その学校では不良生徒がとても多かったのでたびたび授業が荒れてしまうほどでした。
正直、そこで私が思ったことは、
「ここの先生たち、不良への接し方がめちゃくちゃ下手だなぁ….。」
ということです。
もちろん、授業を荒らすことは良くないので悪いのは不良なのですが、
一方的に悪とみなしてすごい怒るんですよね。まぁ、悪いのは不良なのですが…..、
不良はそれを根に持ってものすごく暴れていました。
部室を荒らしたり、ゴミをぶちまけたり、廊下を荒らしたり、先生に毛虫のついた葉っぱを持って追いかけ回したり(すみません笑って見ていましたw!)
ますますヒートアップしていたと思います。
ただそこで1人だけ不良の扱いがものすごく上手い先生がいました。
校長先生です。
授業をサボっている不良たちを叱らず、穏やかに声をかけて話を聞いてあげていたんです。
最初は不良たちも、
「ジジイ話しかけんなよ。」
と言っていたのですが、校長先生は優しく言葉遣いを訂正するだけでただ寄り添っているように見えました。
その後校長先生は授業に出ていない不良たちを誘って、校内のゴミ拾いや草むしりを一緒にするようになって、
しまいにはめちゃくちゃ不良たちから好かれて、結果的に不良たちが授業に出るようになっていたんです。
毎日その様子を観察していたのですが、これはすごいなと思いました。
抵抗せず受け入れるということは、こんなに奇跡が起きるんだなぁと思いました。
それを見習ったのか他の先生たちも徐々に不良たちへの接し方が変わり、犬猿の仲だった学年主任の先生と不良のリーダー格が仲良く会話をするようになった時は、
「先生、あいつの扱い方うまくなりましたね。」
と言っていました。かなり上から目線な発言だったと思いますすみませんw!
ただ、これは人間関係だけの法則だと思っておりました。
ですので私はすっかりこの法則を忘れておりました。
しかし、目の前の現実だったり、思考であったり、受け入れたくないことはたくさんありますよね。
私もものすごく受け入れたくないことがありすぎて、
「こっちに来ないでーーーー!!あっちに行ってーーーー!!」
と抵抗しておりました。そうして必死になって行動したらますます最悪の状況に陥っていくのがいつものパターンでした。
ひとつ役に立ったことがあります。
仏教で「明らめる」という単語があります。
「諦める」の語源が「明らめる」だそうですが、これはなにも
「仕方なく断念する」というネガティブな意味ではなく、
「明らかに見る」
という意味だそうです。
私は瞑想がうまくいかない時や否定したい現実で苦しんだ時は、ノートに自分の気持ちや現実に何が起きたのかをただ書き殴っていました。
「支払いが間に合わない自分はダサくて恥ずかしい。もうこんなの嫌だ。」
↑この文章の中で事実だけを取ると、
「私は月末の支払いに間に合わなかった。以上。」
だけになるんです。
あとの「自分はダサい、恥ずかしい、もうこんなの嫌だ。」
という部分は本人の思いこみになるので要はもとから存在しない幻になるんですね。
私たちはこの幻の部分を見ていつも苦しんでいるわけです。
その幻に対しても抵抗しているので、ますますそう感じさせるような出来事を起こすんですよね。
事実を明らかに見て見ると感情を手放すことにもなり、事実を受け入れることにもなります。
現実への抵抗そのものを手放すことにもなるので、とても良いリリースになるんですよね。
そうして手放すことによって目の前の現実であったり、思考を明らかに見る(抵抗せずに受け入れる)ことで、
自然と現象が良い方向へと勝手に変わっていきました。
抵抗さえしていなければ、最初から繁栄の方向に行くのだと実感しました。
ただ、事実を明らかに見ることは場合によっては直視したくないものも含まれると思います。
それが大きければ大きいほど、かなり抵抗していることになるので良いサインだと思います。
手放すことと受け入れることは一見正反対のように思えますが、どちらも空の境地に近づくには良いワークだな〜と思いました^^
そしてどうせ全ては幻であって、今この瞬間にその幻を取り去ったら、ただの至福だけが永遠に流れているんです。
これに気づいた時は感動しました^^
抵抗せず、思い切って受け入れてしまうと奇跡が起こるので、
もし嬉しいことが起こったらぜひ教えてください✨
私も今日も空の境地への研究を続けようと思います。
それでは今回もここまで読んでいただきありがとうございました\(^o^)/
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