
このブログでは、私が数年前に悟りの境地「空の境地」を体験して人生が大きく変わったことや、
ピンチを救われたこと、問題が解決したこと、そして大きなお金やチャンスを得たこと(6億円越えのビジネスチャンス到来や布ナプキンのお店のオープンなど)についてリアルタイムで書いてきました。
それと同じく、「実際に効果があった開運方法」について書き続けてきました。
※私は気まぐれに、「空の境地」「悟りの境地」「至福の境地」という名称でところどころ書いてきましたが、内容としましてはどれも一緒です。
そして「この世界を全ての分野において幸せに生きるための本質=悟りの境地を生きること」について学びを進めていく中で、「師」を決めていました。
何人か師とする人の教えを同時に受けていたことがありますが、
今私が一番夢中になっているのは、インドの悟った聖者である「シュリ・クリシュナジ」と「シュリ・プリタジ」のお二人です。書籍はこちら
お二人が教えていることはいたってシンプルです。
「私たちは、心の内側が美しい状態か、苦しい状態のどちらかでしか生きていない。
美しい状態であれば、目の前の現実は美しく豊かなものになっていく。
反対にどんなにお金持ちであっても、内側の状態が苦しみの状態であれば富は長続きはせず、
人間関係においても繋がりが絶たれていき、衰退するしかない。」
というものです。
美しい状態というのは、苦しみがない状態です。
恐れも、怒りも、比較も、悲しみも、傲慢さも、無価値感もない状態です。
私はこの苦しみの種類について毎日丁寧に解放しているのですが、
⬆️最近の気づきや瞑想中の圧倒的な大解放の奇跡はこちらに書いております。
そして昨日も圧倒的な解放が起きたので、このことについて書こうと思います。
私はあることについて恐怖を感じておりました。
なかなか手強かったので、瞑想でじっくり恐れを見ていくことにしました。
まず、恐れの正体とは何でしょうか?
恐れとは、今それが起きていないのに、映画のように未来をリアルに脳内で上映していて、
蜃気楼のように見えるその幻に対して、あたかも今起きているかのように感じている状態です。
そして不安と痛みに満ちた不必要な投影である”蜃気楼”の中で、ジタバタしている状態のことを言います。
私はこの説明を受けた際にハッとさせられました。
私にもしょっちゅう恐れはやってきます。そして抜け出すのに時間がかかることがほとんどでした。
でも確かに、「今、何も起きていない」のです。
その蜃気楼があまりにもリアルなため、痛みと不安のレベルがもの凄いんですよね…!
でも確かに、「今、何も起きていない」のです。
これを何度も何度も脳に教えてあげる必要があるのです。
私は恐れを感じるたびに、「今、何も起きていない」ということを教えるべく、立ち止まって深呼吸しています。
そうして昨夜、恐れをという蜃気楼と別れるために深い瞑想をしていました。
瞑想中、深い意識状態の中で落ち着いて「恐れ」を見れば確かに、
今存在していないエネルギーの塊だということが分かります。
この時重要なのは、「恐れと一体化しないこと」なのです。
私たちはそこで一体化しがちですが、そこから三歩下がって、第三者の視点で「恐れ」を見るのです。
私はそうして見続けていたあと、あることに気づきました。
それは、「誰かから拒絶されることへの恐れ」を持っていることについてでした。
これは長年顧客やパートナーに対して抱いていた恐れで、完全無意識に抱いていたものだったので気づくこともありませんでした。
でも瞑想中に、確かに自分が「誰かから拒絶されることへの恐れ」を抱いていて、
それが蜃気楼だということも認識し、だんだんと穏やかになっていきました。
するとあることを思い出したのです。
それは、
「私は小さな頃からたくさんの方に愛されてきたということ」
だったのです。
瞑想中急に、母親からよく言われていたことを数十年ぶりに思い出したのでした。
それは、
「なおがまだ幼稚園に入る前にね、入園の見学に行ったら多くの子どもたちに取り囲まれて、
なおちゃん遊ぼう遊ぼうって誘われて、すごく可愛がってもらったんだよね。当の本人であるなおはただただ困っていたんだけど、こんなにも他の子達に可愛がってもらえてすごく良かった。」
というものでした。
その記憶を発端として、数々の記憶がぶわーーーっと蘇りました。
その一つは、私は近所の人からもとても良くしてもらっていたことだったのです。
手作りのぬいぐるみやお人形さんをいただいたり、お野菜をいただいたり、家族と訪れた魚屋さんでは、
「お嬢ちゃん、可愛いからサービスね!」
と新鮮なイクラを丸々1パックいただいたり(!)、
近所に住んでいたちょっとやんちゃな女の子からはディズニーのお皿をいただいたり(母親がなんとか断りました)、
クラスメイトでみんなから恐れられていた男の子からは変わったボールペンをもらったり(これも母親に返してきなさいと言われて泣く泣く返しました)、
そういった「誰かからプレゼントをされたこと」がぶわーーーーっと思い出されたのです。
私はそこではじめて、
「私はみんなから愛されていたんだな。みんなは、ただただ私に受け取って欲しかったんだな。
ありがとう、ありがとう、ありがとう。」
という気持ちでいっぱいになりました。
よく自己啓発系の本で散々読んできたのですが(そしてこのブログでも書いたことがありますが)、
「宇宙はあなたに受け取って欲しくて仕方がない!」
という叡智があります。そして私が記憶の中で思い出した数々の人から与えられたものは、それこそ宇宙が与えたくて仕方がない、あなたに喜んでほしい、というものだったのだと思い出したのでした。
私は無条件に、「存在しているだけで喜ばれる存在だったのだ」と思い出して、今朝起きてからも目がパンパンに腫れるほど泣いたのでした。
私は中学三年生でいじめを受けたあと、自分の自己肯定感はすっかり下がってしまって、
「はやく死にたい。生きている意味なんてない。なんで生まれたんだろう。」
というような、こればかりを考えて生きてきました。これは大人になっても続いたものでした。
ですので子どもの頃、多くの方から可愛がってもらったことなんてすっかり忘れていたのです。
脳は自分が頻繁に考えることが、目の前の現実世界でまさに起きているかのように証明するようなことを起こします。
例えば私は「生まれてくるべきではなかった」と考えていましたので、
よく母親から、
「あなたがお腹にいた頃、男の子が欲しいと思っていたお父さんがよく男の子の名前を呟きながらはやく出てこいよー。なんて言っていたのよね。」
ということを頻繁に思い出していました。つまり私は望まれない子なんだと思っていて、これは自己肯定感の低下に繋がりました。
でも昨夜思い出したのは、両親からの深い愛と、多くの方たちから愛されていて、喜ばれる存在だったということでした。
もしこれを読んでいる方も、ぜひ想像してみて欲しいのです。
「あなたは、ただそこにいるだけでみんなから喜ばれる存在なのだ」ということを、です。
ここには条件はありません。
・年収がいくらだとか、
・容姿がどうとか、
・年齢が何歳であるとか、
・学歴はどうであるとか、
それらの条件付けが一切なく、
「あなたの存在は、私たちにとって光そのものです。ここにいてくれてありがとう。」
と言われたら、どうですか?
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昨夜の私はこの圧倒的な愛に包まれて、眠る寸前まで涙が止まりませんでした。
感謝の気持ちでいっぱいでした。
朝起きた時、自分のキャパシティを超えるほどの愛で満たされていたことに気づきました。
この感覚を、みんなに体験して欲しいと思いました。。。
今書いていても涙が溢れます。
また自分の中の無意識に抱えていた恐れが消えたので、呼吸しているだけでもハートの中心から愛が溢れていることを感じています。
幸せだなぁと…。
きっとこの感覚を多くの方が持ったら、その人の世界は変わると確信しています^^
あなたはどんな解放が訪れましたか?
連日、クリシュナジとプリタジの教えを丁寧に実践しています^^
ではまた次の記事でお会いしましょう✨
